【レビュー】 デスノート (コミック) 漫画:小畑健 原作:大場つぐみ

 絵は『ヒカルの碁』の小幡健で、いつもながら非常に丁寧で綺麗な絵である。その関連性とは言わないが、この『デスノート』は、キャラの設定や全体的な構成が『ヒカルの碁』と共通している部分が多いよね。
 例えて言えば、両方とも原作ものだということ。ヒカルには、藤原作為という幽霊が憑いていたが、ライトにはリュークという死神が憑いていること。
 またライトには、Lという天才的ライバルがいるが、ヒカルにもアキラというやはり天才的ライバルが存在したのだ。
さらには、双方とも大人が読んでも、全く違和感がなく、異例の大ヒットを遂げている。また皮肉なことにラストが無理やり書かされたような、中途半端なエンディングであることも同じだ。
  『ヒカルの碁』の原作者は、「堀田ゆみ」という女性であり、『デスノート』のほうも、やはり「大場つぐみ」という新人女性なのである。しかしこれだけの大作を、新人女性が書けるはずもなく、実は大物作家の偽名だという噂もあるようだ。
前述した通り、二つの原作に共通点が多過ぎることを考えると、『大場つぐみ』と『堀田ゆみ 』は同一人物なのかもしれない。
 では何故偽名を使う必要があるのだろうか。あくまでも私の勝手な推測だが、当初の企画は編集部から出され、それを堀田氏に依頼したのではないか。しかし堀田氏自身は、大量殺人を正当化したような作品を書くことに抵抗があり、照れ隠しで『大場つぐみ』と名乗ったのかもしれない。 
 ことの成り行きはどうでもよいとして、とにかくこの作品がこれほど大ヒットし、映画化されるとは誰も想像しなかったに違いない。
 「死神が落したノ一トに、顔を知っている者の名前を書くと、書かれた者は死ぬ」という、一見誰にでも考えられそうで、かつ荒唐無稽なアイデアは、編集部員が考えたのだろう。しかしその単純な発想に複雑なルールを絡ませ、ミステリー小説のような緻密な心理描写を綴ったことが、大成功の原因だと考えたい。
 もしこうしたら、ああするし、こうしなければ、あれをああする。あれがああ出来なければ、そうこうするが、そうこうしても相手が反応しなければ、その逆も考える。などなど作者にしか分からないようなことまで、細かく考え抜いて伏線を張る用意周到な主人公ライトとライバルL・・。
 ある意味開き直ったような、神がかりの推理合戦が展開するのだ。少なくとも「L編」まではこれで良かった。そしてLが絶対的に知り得なかったことで、ライトに敗れたことも納得出来るはずである。だから本来の流れからすると、ここは「L編」で終るべきであったのだ。
 ところがそれでは正義(何が正義か悪かの判断は難しいが、とりあえず法律上の正義としておこう)が悪に敗れることになってしまう。しかし少年誌に掲載している関係上、そうした終わりかたをする訳にはゆかないのも碓かである。
 それで無理やり「ロス編」を作ってしまったのだろう。(当然大ヒット作の継続による收益向上政策があったことも否めないが・・)
 この「ロス編」に登場するニアとメロは、遥かにLに劣るはずである。それにも拘わらず、Lを凌駕してしまったのである。もちろん作者もそのことは承知していて、二人が組み合わさったから、或いはLが解明した資産を受け継いだからという言い訳は用意しているようだ。
 もちろんそのことは判っているが、それにしても後半のライトの冴えなさと傲慢さは一体どうしたことか。やはり無理があったのである。
 そのことに多くの読者が不満表明をしたことにより、近々最終巻をフォローする追録巻が出版されるらしい。これは浦沢直樹の『20世紀少年』と全く同じ現象である。
 最近商業べースや社会の風評を重視し過ぎて、無理と連載を引き伸ばしたり、突如中止にしたりと、読者不在の措置が多発しているように感ずるのだが、それは私だけなの思い込みなのだろうか・・・

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