サッカー漫画の変遷に見るサッカー少年の進路

今でこそJリーグというプロリーグがありますので、サッカーやって将来はプロになって日本代表に選ばれて世界に名を売ってお金がガッポガッポ…なんていう青写真が描けますが、ほんの30年前はプロサッカー選手になる、と言う夢は日本では考えられませんでした。

昔は高校サッカーの次となると、国内では実業団サッカーの日本リーグという選択肢ぐらいしかありませんでした。そんな当時を反映した「キャプテン翼」では若林くんが小学校卒業と同時にプロ選手になる夢を叶えるためにドイツ(当時は西ドイツ!)へ行った、なんてエピソードがありました。また、中学生編の全日本ジュニアユース編の中では、アルゼンチン代表監督がこのまま翼を高校の部活動や実業団といったところでサッカーをやらせるのは勿体ないので、アルゼンチンに連れていくみたいな話もありました。

第1作目の「キャプテン翼」がリアルタイムで連載されていた1981~1988年でしたので、当時のサッカー少年が選べる進路の選択肢の少なさを作者が作中で指摘してたかのような印象でした。

そのためか、日本でプロサッカー選手というのは夢というより、日本では不可能なことのようなイメージがありました。

Jリーグが発足した1993年以降はプロサッカー選手という夢が叶えられるものとなり、それ以降はサッカー人口も増えてきました。プロサッカーチームの場合下部組織チームを置く場合が多いので、ユースチームあるいはジュニアユースチームといったあたりへの加入もなくはない話となってきました(あくまでもなくはない、ですよ)。

「BE BLUES! 青になれ」では小学生の一条龍に浦和レッズのジュニアユースから声がかかったとか、あるいは渡辺健太が同じ時期に大宮アルテージャから声がかかったといったエピソードからも、サッカー少年の進路の選択肢にもずいぶん幅が出てきた時代になったことを感じさせます。

現実の話では、今話題の久保建英選手は下部組織ではありますがバルセロナ出身…子供の頃から世界のトップチームに加入というのは、まさしく漫画を超えた現実といったところでしょうか?

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