真柴を過去から開放する映画。 【感想】 聲の形 第56話

映画がいつのまにか完成

音楽担当の島田と西宮の接触がどうなったのかとか、描かれないまま映画が完成してました。その辺りは来週以降触れられるのでしょうか。
もともと映画は、ヒーローものだったのですが、すっかりとヒューマンドラマになっていました。もともとの案は高校生が撮影するには不可能ですし、リアリティがある内容に落ち着いたと思います。
真柴の役が、彼のバックボーンと重なるような内容だったのには驚きました。真柴はいじめられたというほどでもないけど、本人的には友人たちにからかわれて傷ついて、ちょっぴり性格が歪んでいます。その辺りの背景を極端に表現したような映画です。
これは、演じた真柴の心境が気になるところです。また、この脚本を書いたのが川井というのも因縁じみていて面白いです。

友情のドラマ

この作品は、将也と西宮のコミュニケーションがテーマで、それがだんだんと愛情のようになっていってますが、結構友情も描くんですね。そもそも、将也にとっては島田たちとの友情を失ったことが重要でしたし、そのあとも永束との出会いで普通の人間関係がある生活を再生させていきます。そして、とびおりにつながった諍いも真柴、川井、永束との友情から生まれたものです。西宮が、将也の友情を壊してしまったことを気に病んでという感じです。

そして物語のクライマックスとも言える映画も友情にまつわるものでした。

将也と西宮のコミュニケーションがテーマというよりは、コミュニケーション自体がテーマといったほうがふさわしいのかもしれません。

永束君は本当にいいやつ

いろいろと癖がありますが、永束君は本当にいいやつです。西宮にもわかるように、映画を作ったり。

この映画では、イジメた側のエクスキューズが描かれていると感じました。「そこまで思っていたなんて」という部分です。
友達ではあるけど、なぜかイジメてしまう。それを後悔したり、謝ったり。

この映画で一番救われたのは、将也でなく真柴だったんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。

自分の眉毛をからかった友達を演じながら許すことができたのではないでしょうか?
将也との関係があり、この映画があり、真柴はまっすぐな自分を取り戻せたかもしれません。(もともと素直な性格かはわからないですし、そんな描写もないですけども)