ぼくは藤子不二夫が大好きだ。藤子不二夫は沢山の作品の中で友情を描いてきた。ドラえもんだってのび太とドラえもんの友情物語だった。ハットリくんとケン一もだ。
そういう意味で彼らの解散というのは何か釈然としなかった。友情の大切さを常にぼくたちに提示してきた本人たちが何故と思った。 まだ子供だった僕は、その原因を調べるという発想もなかったし手立てもなかった。ただ不思議なもので子供の頃に気になっていたものは、ふと大人になっても頭をよぎるものである。 「そういえば、なんで藤子不二夫はコンビを解消したんだろう?」そう疑問が出れば答えを探すのは現代では簡単な事でインターネットでちょっと調べれば答えが分かる。
以下wikipediaから引用- 伝記本による[要出典]と、藤本が入院した時にコンビ解消を考えたともいわれる。藤子不二雄としての著作権料は関与の度合いに関係なく均等に二分割だったが、どちらかの死後、遺族によって著作権と金銭で確執が起こると考え(特に実質的に藤本作品である『ドラえもん』の巨額の著作権料の分配が問題となると予想された)、それを未然に防ぐためにコンビを解消したという[15]。安孫子によると、コンビ解消を切り出したのは、藤本の方であった[16]。また藤本夫人の藤本正子によると、きっかけは1986年、藤本の入院だった。胃癌[17]の手術後、藤本は復帰したが、また体調を崩し、その翌年に「安孫子氏と別れようと思う」と打ち明けた。正子は「(復帰後の)スタジオの雰囲気が違っていたのでしょう」と述懐している[18]。 —引用ここまで
ぼくは、これを読んで二人は友情の締めくくりが遺族の争いにならないように別れたのだなと思った。美しく考えすぎかもしれないが、ぼくは藤子不二夫信者だから、それで溜飲が下がった。
そして最近、藤子F不二夫の異色短編を読んでいて、一つの答えの様な作品を見つけた。 どういった話かというと、藤本氏を髣髴とさせる老人の家に久しぶりに我孫子氏を髣髴とさせる老人が訪ねてくるというもので。 二人の会話は、たわいもなく、「やあ、久しぶり」とか「すっかり禿げたな」「そっちこそ」みたいな感じだ。 そこではノンビリとした緩やかな友情関係が描かれていた。そして会話は時間の流れへの疑問に変わり、二人はお互いに遠慮なく高度にSF的な時間論を交わし始める。 そこに描かれている二人は、少年時代から想像を語り合っていた姿そのものなのだろう。 そういう友情を残したかったからコンビを解消したんだなと腑に落ちた。そして二人の友情のゴールを見れて、満足した。もちろん作品の中の話なので実際にそういう事があったかわからない。 それでも、そういうビジョンがあったというだけで満足なのだ。 それはのび太とドラえもん、ハットリくんとケン一の友情の結末でもあるように感じた。