人の心の可能性
今回のソウルキャッチャーズでは人の心の可能性について考えさせられました。同じ事実でも受け止め方次第で心は変わり心が変われば行動や結果が変わる。そういった事を感じました。神峰が吹奏楽部に入って以来彼は部員の心が良い方向変わるようにずっと努力してきましたよね。今回彼はもし悪くなる様な行動を取ったらどうなっていたかを想像してしまいます。
別に不自然じゃない
その時神峰が想像した行動は特に不自然じゃないんですね。むしろ神峰が今まで取ってきた行動のほうが不自然です。彼は心が見えるから部員たちの本当の望みが分かるので不自然に人に関われたわけです。「あんたは本当はそんな事思ってない」的な感じです。逆に普通に「そうですよねー、分かります」的な肯定的な感じで部員に関わったとしたらむしろ誰の心も救えてなくて部はボロボロになっていくという描写がありました。事実神峰が入部するまで吹奏楽部はバラバラでしたね。
心が見えない怖さを感じた
肯定したり認めたりするのが本当にその人を理解してるとは言えない、神峰には心が見えるからそれが分かるけど普通の人間であるぼくらにはそんな術もない。人間の難しさを感じます。心が見えないってのは怖いなと。
心に踏み込む
結局この作品は音楽を題材にして人間の心に踏み込むんですね。心の問題を解決するというのが常にテーマになるわけです。しかも目に見えるように分かりやすくしてしまう。音楽と心という二つの眼に見えないものを見えるようにしてしまった設定が凄いです。