ついにコミュニーケーションの難しさに入ってきた。 【感想】 聲の形 第40話

心の伝わらなさが、本格的になってきた

人間は相手の立場に立つということが本当に難しいです。これは想像する能力というよりも、相手の立場に立ってみようと考えることを忘れてしまうことが原因だと思います。
硝子は、今週、自分の存在が石田を苦しめると考えました。作中で、そこまで言及がないですが、彼女の心をすこし想像してみます。

自分がいるから、他の友達との間で将也がつらい目にあう。自分がいなければ将也は誰を虐めることもなかったし、友達を失わずにすんだ。自分がいる以上、その友達は過去を掘り返し将也が開放されることはない。
だから自分は、もうその環のなかから外れよう。そういう気持ちだと思います。

将也の本当の心は

これも作中で描かれていないので想像でしかないですが、彼はどう考えても硝子と信頼関係を構築していくなかで自分を再生しています。それに壊れた人間関係も大したものじゃないです。どう考えてもあの中でずっと付き合っていくのは長束君しかいないです。でも、長束君は状況わかっているから、あの程度で友情はダメにならないです。

真柴君とは、なんなのか

ぼくは当初、目が怖い感じだなと思いました。ただ物語が進む内に意外といいやつだなと思いはじめました。ただ彼には違和感があるのです。それが前回将也を殴ったことではっきりしました。
彼は自分が人を責められるくらい後ろめたいことがないのです。誰だって誰かを傷つけて生きています。そういったことを一切考えずに、虐めっ子をさばこうとする。要するに非常に無神経な、自分を顧みないで人を攻める人間だということです。
これが真柴くんの違和感だとおもいます。傷つけたほうは覚えてなくても、傷つけられた方は覚えてるぞと。
自分を棚にあげて、相手を攻めることには余念がない。そういう不自然な印象があります。

ついにコミュニーケーションの難しさに入ってきた

イジメとか障害などのわかりやすいテーマを描いてきましたが、おろらくこの作品の本質であろう、心のすれ違い、本当の聲の形がお互いに見えないという展開に入ってきました。
硝子と将也の、あまりに悲しいすれ違い。そういった展開に。まあ、ちょっと少女漫画っぽいですね。