西宮硝子は、あなたの鏡。植野は鏡に映った自分の姿を憎んでる。 【感想】 聲の形 第50話

植野なおかの回

まず、衝撃的だったのは、病室に人をいれないで何やってるんですかっていう。これ男女逆転だったら完全にアウトですね。ていうか、逆転しなくてもアウトですよね。
「ぷは」って、なんですか、一杯やった後ですか?苦しくなるほど長時間?

植野からみた硝子

だいたい、今までの描かれ方から想像したとおりでした。
面白いと思ったのは、西宮硝子は、誰から見るかで非常にイメージが変わる人物なんだろうなと。

それは、基本的に無口で自分の意思を表現しないために、想像するしかなく、周囲の人の勝手な期待とか思い込みで硝子をイメージしてしまうからでしょう。この作品では、それは読者に対しても一貫していて、硝子の考えていることを、文字であらわすことがありません。表情ではあらわすけど文字ではあらわしません。読者に、想像させているんですね。

西宮硝子は、あなたの鏡

植野が、硝子のことを腹黒いと感じるのですが、ようするに、これは自分が投影されています。自分が腹黒ければ人も腹黒いと思う。陰口をよく言う人は、他の人もよく陰口を言うと思ってますね。それと一緒です。自分が泥棒なら、他人も泥棒に見える。

で、硝子の場合は、意思表示がないですから、本当に、鏡のような存在です。

物語を裏側から見る人

西宮は、この作品のヒロインで、しかも天使のような性格に描かれています。もちろん理由はあるのですが。ただ、イジメられていた将也の机を拭いている硝子は、ある意味、物語の感動ポイントというか、序盤のクライマックスですね。あれは、作中屈指の美談なわけです。
そのシーンを、腹黒い自己アピールと解釈する人物を登場させて、描くわけですから、なかなか凄い作品だと思います。

男と女の視点の違い

植野の視点は女性ならではだと思います。男は素直に、西宮いい子だな。と思うわけです。女からすると、「あれアピールだから」「騙されんなよ」となるわけです。西宮の机拭きはアピールではないのは作品の中では明らかですが、現実では、どちらかわからないときがありますね。

「あの女の、あの感じは性格がいいわけでなくアピールだ」男は、それに気付かない。女はそれに気付く。なぜ気付くか、自分もアピールしているからですね。それこそ、鏡のようなもので、自分にそういった要素がなければ、そんなことを考えもしない。

ようするに、植野は、いろいろと石田にアピールしてきたわけです。
そして高校生になって、石田と再会したら西宮と石田はラブラブですよ。植野してみれば、「ほらね。アピールだったでしょ」となる。証明されたような気分でしょうね。

そんなに石田が好きなのに?

小学校の頃は、一緒に石田をイジメる流れになってしまったのは、わかるのですが、中学生になってからは、もう少し石田に近づける流れがあったんじゃないですかね。「ぷは」とかやっちゃうくらい好きなんですよ。中学三年間距離をとり続けられたというのが、ちょっと信じられない。

西宮は、そんなに腹黒くないかも

植野自身も、西宮腹黒い説は、少し無理があるとはわかっているのでしょう。今回の話の最後はとくにそういう感じでした。

植野は、めちゃくちゃだけど

まあ、彼女はいろいろめちゃめちゃですけど可哀想な部分もあります。将也が振り向くことは絶対にないですからね。しかも、素直に、将也のために映画作りに協力することもできない。島田との仲直りも一所懸命演出しているものの、将也にも島田にも望まれていない感じだし。

来週楽しみ

島田と西宮との接触がありそうです。どういったコミュニケーションになるのか、期待です。また、そこに真柴とか永束とかも絡んでくるでしょうね。これはドキドキします。

コメント

  1. 流浪の漫画人 より:

    西宮の机拭きはアピールではないのは作品の中では明らか
    うん、そうですね
    でもあれほど酷いイジメを受けてた相手の机拭いてやる子なんて、現実世界のどこにもいませんよね
    そういう「こんな性格のいい子がいたらいいなぁ」みたいな空想世界から出てきたようなキャラが、植野みたいにいい意味でも悪い意味でもリアリティのある女の子をフルボッコにする展開というのは、なかなか胸糞悪いものです

  2. 流浪の漫画人 より:

    植野が西宮を鏡にしていたのはよく分かります。
    けど、西宮に自分の醜さを仮託して暴力や嫌がらせ、暴言を吐いてきたことは本当に酷いと思います。
    西宮だって痛みも感じれば苦しみも感じる一人の人間なんです。

  3. 流浪の漫画人 より:

    痛みも感じれば苦しみも感じる人間だったら、石田(自分をいじめてた主犯)の机拭きなんてしないでしょう
    植野が勘違いしたような理由でもなければ
    現実世界で西宮の立場で机拭いてる女がいれば十中八九植野が考えたような理由が動機ですよ
    でもそれが勘違いになってしまうっていうのは、いかに西宮の存在がファンタジーかってことです
    こんなファンタジーなキャラと敵対させられた「人間」植野が可哀想でなりませんね

    • 流浪の漫画人 より:

      >現実世界で西宮の立場で机拭いてる女がいれば十中八九植野が考えたような理由が動機ですよ
      つまりこういう人用の鑑が植野なわけですね?
      そういう人からは、徹底的に西宮は「人間」扱いされないんです。
      人扱いされないというのはムゴイことです。

  4. 流浪の漫画人 より:

    植野の目線と読者の目線は違いますからね
    植野は西宮を人間扱いしていますよ
    その証拠にああいう勘違いをした
    しかし我々読者は西宮硝子が架空の人物だということを知っていますから
    リアリティを感じなければリアリティがないなという感想になるのは自然なことです